北東エリアにある土浦市は江戸時代から土浦城の城下町として、石岡市は古く常陸国府が置かれた地域として長い歴史を持っています。
大杉神社
日本唯一の「夢叶え神社」、知る人ぞ知る最強のパワースポット
一の鳥居
神社前の丁字路の横断歩道前にあります。以前は朱色でした。
二の鳥居
めずらしい模様の入った鳥居です。奥に神門が見えます。
境内
神門をくぐると厄払いのための茅の輪くぐりがあります。
拝殿
準備中
吊るし賽銭箱
金運・財運に御利益があり、100円玉を手のひらに乗せて手前の升に、500円玉を同様に奥の升に静かに投げ入れます。
稲荷大明神
準備中
JR成田線 下総松崎駅 8km(車で15分) ・ JR常磐線 ひたち野うしく駅 24km(車で30分)
圏央道 稲敷東IC 7km(10分)
横利根閘門
大正10年に完成した日本最大級の規模のレンガ造の復閘式閘門
- 国指定 重要文化財
レンガ造りの歴史を感じさせる土木建築構造物、今でも現役でタイミングが合えば実際に船が通過する際の閘門の動きを見ることができます。
茨城県稲敷市と千葉県香取市の県境付近に位置する横利根川にある閘門。閘門とは水位差のある河川と運河の間で船舶を通航させるための施設構造物です。利根川改修工事の一部として1921年(大正10年)に完成した煉瓦造閘門のひとつで近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。
この閘門はパナマ運河の閘門などと同じ複式閘門複扉式で、長さ約90.9m、幅約10.9m、深さm2.6mの大きさで当時就航していた最も大きい船舶を基準に設計されました。完成から100年経過した今も現役で活躍しています。
上流から見た横利根閘門
上流側は霞ヶ浦から流れる横利根川です。田園地帯を流れてきた川にレンガ造りの建造物が突然あらわれます。
下流側の扉の内側
巨大な扉を動作させる駆動部分の一部が地上からも見ることができます。
下流側から見た横利根閘門
下流側は水門をはさみすぐに利根川に合流します。
閘門をどうやって船舶は通るの?
①通常時
下流側、上流側ともに扉が閉じています。
②下流側扉の開動作開始
下流側から来る船舶が閘門に入るため下流側の扉が開き始めました。
③下流側の扉全開
下流側の扉が全開になり船舶が進入できる状態になりました。
④船舶が閘門内に進入
下流側から進んできた船舶が閘門内に進入しました。
⑤下流側扉の閉動作開始
閘門内に船舶が完全に進入すると下流側の扉が閉まります。
⑥水位調整・船舶進行
下流側扉全閉後、閘門内の水位が上流側の水位に調整され、上流側の扉が開き船舶が進みます。
JR成田線 佐原駅 4km(車で10分)
東関東道 潮来IC 13km(15分) ・ 圏央道 神崎IC 13km(15分)
牛久大仏
高さ120m、青銅立像では世界一の高さを誇ります。
奈良の大仏が手のひらに乗るほどの大きさの牛久大仏は圧巻です。
全高120m(像高100m、台座20m)のブロンズ(青銅)製大仏立像で世界一高いとしてギネスブックに登録されています。
総重量は4000t、85mの高さにはエレベーターでいける展望台があり、東西南北を見渡すことができ天候が良い日にはスカイツリーを見ることができます。
牛久大仏
全高120m、駐車場入口からでもその大きさがわかります。
実物大の牛久大仏の螺髪(左)
大仏頭部の螺髪は総数480個あります。そのひとつの直径は1mで重さが200kgあります。
あみプレミアムアウトレットから
圏央道の阿見東ICに直結するアウトレットモール「あみプレミアムアウトレット」からみた牛久大仏。その大きさが実感できます。
JR常磐線 ひたち野うしく駅 9km(車で15分)
圏央道 阿見東IC 1.5km(3分)
牛久シャトー
ぶどう栽培から瓶詰まで日本ではじめて一貫生産したワイン醸造場。
- 国指定 重要文化財(事務室、醗酵室、貯蔵庫)
100年以上前にタイプスリップしたような空間で当時の偉業を感じることができます。
1903年(明治36年)に実業家である神谷傳兵衛がフランスの醸造場をモデルに開設した日本初の本格的ワイン醸造場です。
ぶどうの栽培からワインの醸造、瓶詰めを一貫して行なっていた施設で、明治期のレンガ造り建築物としての歴史的価値の高さから国の重要文化財、国産ワイン醸造の発展への貢献が評価されたことで近代化産業遺産にそれぞれ指定されています。
貯蔵庫は改装されレストランとして使われています。明治の歴史を感じながら
現在も醸造が行われています。
事務室(現在の本館)
時計塔がついた建物でまさに「シャトー」の名の通り格式高い建築物です。
明治中期の煉瓦造りの建築物として歴史的価値を感じることができます。
醗酵室(現在の神谷傳兵衛記念館)
2階の扉から原料のぶどうが運び入れられ醸造が行われました。当時の醸造工程を知ることができる産業技術史上とても価値の高い建築物です。
JR常磐線 牛久駅 0.5km(徒歩で8分)
圏央道 牛久阿見IC 5km(10分)
筑波山神社
筑波山を御神体とする神社で270mより上がすべて境内、日本屈指のパワースポット
県指定 重要文化財
主祭神 筑波女大神 伊弉冊尊(イザナミノミコト)
主祭神 筑波男大神 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
「日本百名山」のひとつに数えられる標高877mの女体山と男体山の2つの峰が特徴的な茨城県のシンボル的な存在です。関東平野にそびえたちその美しさから古くから「西の富士、東の筑波」と富士山と並び称されています。朝と夕方で山肌の色が変わるところから「紫峰」とも呼ばれています。
百名山の中でも最も標高が低く初心者から楽しめる登山道に加え、男体山山頂に向けてはケーブルカー、女体山山頂に向けてはロープウェイが設けられどんな方でも筑波山を楽しむことができます。
筑波山を御神体とし、拝殿がある中腹から本殿のある山頂にかけては約3千年の歴史を持つ古社である筑波山神社の境内となっています。拝殿に続く参道の入り口に赤い大きな鳥居があり、空気が澄んだ寒い季節では遠くからでもその姿を見ることができます。
かつて、南の麓を沿うように土浦駅から岩瀬駅の間を1987年まで運行していた筑波鉄道筑波線の廃線跡がほぼそのままサイクリングロードとなりました。旧駅のホーム跡などが休憩所などとして活用され残されています。
南西方向からみた筑波山
田園風景、芝生畑の奥に筑波山の全景を見ることができます。
御神橋(ごしんきょう)
1633年に徳川三代将軍家光により寄進、1702年に五代将軍綱吉によって改修されました。
随神門
江戸時代の筑波大御堂(中禅寺)の仁王門。明治はじめに廃仏毀釈で廃寺となるまでは筑波大御堂(中禅寺)が筑波山信仰の中心でした。
拝殿
随神門を抜けた石段の先にを上がると拝殿です。筑波山神社の拝殿は大鈴が特徴です。
拝殿を左手に進み、石段を右に折れながら登っていくとケーブルカーのりばがあります。
筑波山梅林
麓から筑波山神社に向かう途中にあるつくば市営梅林です。白梅や紅梅など約1000本の梅が植えられています。
つくば道
徳川三代将軍家光によって筑波山の参詣道として開放されました。「日本の道百選」にも選ばれ江戸時代の面影を感じさせる風景が残ります。
つくばエクスプレス つくば駅 20km(車で30分) ・ 関東鉄道常総線 下妻駅 16km(車で25分)
常磐道 土浦北IC 20km(25分) ・ 北関東道 桜川筑西IC 23km(30分)
平沢官衙遺跡
奈良・平安時代の役所跡、高床式倉庫などを復元。
- 国指定 史跡
千年以上前の筑波郡の役所跡である歴史的建造物の一部が復元された貴重な遺跡です。
奈良~平安時代の常陸国筑波郡の役所跡で発掘調査から重要な遺跡であることがわかり国の史跡に指定されました。
その遺跡が歴史公園として整備され、奈良の東大寺と同じ造りの「校倉」、壁が板でできた「板倉」、土で塗られた壁の「土倉」の3つの倉庫が復元されています。これらの倉庫は税として納められた稲・米や麻布などを貯蔵していたとされています。
平沢官衙遺跡の全景
調査によって重要な遺跡であることが判明し国の史跡に指定されました。千年以上前の役所跡が復元されています。
板倉の復元倉庫
壁が板でできている「板倉」の復元倉庫です。
土倉(左)と校倉(右)の復元倉庫
壁が土で塗られている「土倉」、壁が校木(あぜぎ)と呼ばれる木材を井桁に組んで積み上げられた「校倉」の復元倉庫です。
つくばエクスプレス つくば駅 14km(車で20分)
常磐道 土浦北IC 11km(15分)
板橋不動尊
関東三大不動尊のひとつ、国の重要文化財、県の指定有形文化財
- 国指定 重要文化財(不動明王・二童子立像)
- 県指定 重要文化財(楼門・本堂・三重塔)
「お不動さん」として親しまれている板橋不動尊。関東三大不動尊の一つで808年に弘法大師によって開かれたと伝わる1200年を超える歴史を持つ真言宗寺院で正式名称は「清安山願成寺不動院」といい関東屈指の名刹です。
本尊である不動明王は平安時代初期の彫刻とされ、国の重要文化財に指定されています。
毎月28日は縁日で護摩祈祷が行われ、露店が並び参拝者でにぎわいます。
楼門(県指定 重要文化財)
1700年建立。左右に仁王像があり右の阿形像は口を大きく開き激しい怒り、左の吽形像は口を閉じて内に秘めた怒りをあらわしています。
本堂(県指定 重要文化財)の全景
1737年建立で、国の重要文化財に指定されている平安時代後期につくられた木造の不動明王像が安置されています。
本堂
朱塗りで軒が高く二重屋根の本堂は迫力がある建築物です。
参詣者でにぎわう不動尊
毎月28日には縁日で護摩祈祷が行われ、境内には露天が並び賑わいます。日常でも参詣者が絶えない名刹です。
三重塔(県指定 重要文化財)
1772年江戸時代建立の名塔です。
鐘楼
冥加料500円を奉納し除夜の鐘を、御守りもいただけます。
県道沿いに無料駐車場があります。
つくばエクスプレス みらい平駅 2.3km(徒歩で30分・車で5分)
常磐道 谷田部IC 6km(8分)
小目沼橋
小貝川に架かる昭和31年築造の欄干が無い木製の橋、映画やドラマの撮影でも使用
1956年(昭和31年)につくられた小貝川に架けられた木製の橋です。欄干が無い橋で幅は1.5mほどで車は通ることができません。
趣のある風景に映画やドラマなどの撮影にたびたび使用されています。小目沼橋の1㎞ほど下流にはつくばエクスプレスの小貝川橋りょうと都市軸道路のもりやみらい橋があり、歴史の移り変わりを感じることができます。
橋へは車で行くことはできませんが、徒歩約5分の300mほど上流の左岸にある八坂神社に駐車し歩いていくことができます。
路面と橋脚
橋脚も木製で過去にタイムスリップしたような感覚が味わえます。
橋の路面
木製の路面を歩くとやわらかな感触に心地よさを感じます。欄干が無いので落下に注意。
小貝川の上流側から見た小目沼橋
手前に小目沼橋、奥につくばエクスプレスの橋とつくばエクスプレスに沿う幹線道路である都市軸道路の橋が見えます。時代の流れを感じます。
つくばエクスプレス 守谷駅 4km(車で10分)
常磐道 谷和原IC 5km(10分)
上高津貝塚ふるさと歴史の広場
霞ヶ浦沿岸の貝塚文化の貴重な遺跡、当時の縄文ムラの様子を発掘調査に基づき復元
国指定 史跡
上高津貝塚は縄文時代の遺跡で、当時海の入江だった霞ヶ浦による豊富な魚貝類や塩、周辺の動植物などを採取し生活していた大規模集落の跡です。
貝塚文化の貴重な遺跡として1977年に国の史跡に指定され、その後、さまざまな調査が行われその成果をもとに復元整備を行い、平1995年に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」としてオープンしました。
中央の広場のまわりに復元された竪穴住居や大型炉など、北側の斜面部に広がる大規模な貝塚、貝が地層のように堆積した状況が一目で分かる断面展示などが整備されています。
公園として緑にもあふれ、自然散策をしながら歴史を感じることができます。
芝生広場
中央は開放的な芝生の広場となっています。
復元された竪穴住居
発掘調査によって縄文時代の住居跡をはじめたくさんの遺物が発見され、その調査をもとに復元されました。
竪穴住居の内部
復元された住居内部に入ることができます。
復元された掘立柱建物
柱穴の配置をもとに復元された掘立柱建物です。柱穴の配置から作業小屋のよう建物であったと考えられています。
貝塚
貝塚がひろがっている様子です。上高津貝塚は小さな谷に囲まれた台地の縁にひろがるという特徴的な形状をしています。
隣接する「土浦市立考古資料館」
上高津貝塚の発掘調査等の成果から縄文時代の生活や文化がわかる資料等が展示されています。
JR常磐線 土浦駅 4km(車で10分)
常磐道 桜土浦IC 2.5km(5分)
小田城跡
鎌倉幕府の十三人の合議制の一員、八田知家を始祖とする小田氏の居城跡
国指定 史跡
小田城は鎌倉時代から戦国時代の常陸国南部に勢力をもち強い影響力をもたらした小田氏の居城、小田氏の始祖は八田知家で鎌倉幕府の十三人の合議制の一員でした。
小田城は鎌倉時代以降に何度も作り替えられ、1602年の廃城後は土塁を崩したり堀を埋めるなどの改変が行われました。近年の発掘調査をもとに本丸跡の建物や池などの遺構を復元や表示をしており、戦国時代の小田城を感じることができます。
本丸跡の北側、筑波鉄道の常陸小田駅の駅舎跡地に「小田城跡歴史ひろば案内所」があり、小田氏の歴史や発掘調査の成果がわかりやすく展示されています。
正面側から見た小田城跡
小田城の大手口(正面)であった場所です。
屋敷などがあった建物域
案内板の奥には城主の屋敷などがあった領域が広がっています。
小田城跡歴史ひろば案内所
小田氏の400年の時代の流れを発掘調査による出土品、歴史絵巻など小田城の歴史を知ることができる資料館です。
つくばエクスプレス つくば駅 12km(車で20分)
常磐道 土浦北IC 8km(12分)
陸平貝塚
日本人の手による発掘調査が行われた縄文時代の大規模な貝塚、周囲の自然環境を含めて良好な状態で残る数少ない貴重な遺跡
国指定 史跡
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史跡の碑
陸平貝塚の国史跡の碑
再現された住居跡
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陸平研究所
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イノシシやマムシに注意!
駐車場から貝塚に進む道路にはいろいろな動物が出現するようです。注意!
貝塚を抜けた先にある大宮神社
ゴルフ場(美浦ゴルフクラブ)の脇を抜けていくとあります。
JR常磐線 土浦駅 19km(車で30分)
圏央道 稲敷IC 11km(17分)
鹿島海軍航空隊基地跡
1938年に発足した海軍の水上機の練習航空隊があった海軍航空基地跡
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本庁舎跡
戦時中、鹿島海軍航空隊本庁舎として使われた建物です。その後東京医科歯科大学霞ヶ浦分院として利用されました。
汽缶場(ボイラー室)跡
石炭ボイラーなどが設備されていた建物です。高い煙突があります。
発電所跡
基地内で使用する電力を発電していた施設跡です。
自動車庫跡
現在はカフェとしても利用されています。
揮発油庫跡と記念碑
揮発油庫跡の前に「元鹿島海軍航空隊の跡」の記念碑があります。元鹿島海軍航空隊の隊員と有志の方々によって建てられました。
カタパルト台座跡
カタパルトは艦載された航空機を火薬で発射させる装置で、ここにカタパルトを設置し訓練が行われました。
JR常磐線 土浦駅 20km(車で30分)
圏央道 稲敷IC 10km(15分)